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2016年08月30日19時00分

【市況】矢口 新のマーケット羅針盤 「金融緩和の袋小路に迷い込んだEU (3) ―後編―」


●割安となった英国資産

 ブレグジットに関しては、英国民は「常軌を逸した」とされ、経済面を中心にそのデメリットが大きく報じられてきた。物事には、何事にもメリットとデメリットがある。ブレグジットのデメリットだけを取り上げれば、確かに大きなダメージだ。特に目立ったのが不動産ファンドで、投票直後は多くのファンドが解約凍結に追い込まれた。またポンドの急落を受けて、米ドル建ての経済規模でフランスが英国を抜き世界第5位に浮上した

 一方のメリットとして、英国は今後、米加への観光ビザ、移民政策、その他の外交、貿易政策などをEU政府に気兼ねすることなく、自由に行える。また、もともとユーロ圏諸国にはないが、英国にはある独自の通貨・金融政策や財政政策が、より自由に行える。

 ノルウェーのソルベルグ首相は、英国がノルウェーなど4ヵ国で構成する欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟すれば恩恵が得られる可能性があるとの考えを示した。EFTAはノルウェー、スイス、アイスランド、リヒテンシュタインの4ヵ国で構成。英国も設立に関与したが、EUとの関連でEFTAには加わらなかった。EFTAはカナダ、チリ、シンガポールを含む約30ヵ国と自由貿易協定を締結している。

 また、英国で生産し、EUに輸出している日本の自動車メーカーは、ブレグジットによりEUへの輸出に関税がかけられることは痛手だと、離脱に反対していた。それに対し、英国のオズボーン財務相は、現在20%の法人税率を15%以下と先進国で最低水準に引き下げる考えを明らかにした。このように、独自の経済政策を機動的に運用できることは、大きなメリットだ。

 ここで、私が疑問に思ったのは、日本の自動車メーカーはそもそもなぜ英国に工場を建てたのかということだ。英国よりも安く労働力を得られる国々は、南欧、東欧圏を中心にいくらでもある。その国がユーロ圏ならば、為替リスクもない。時には関税率など比較にならないくらい動く為替リスクを承知で英国に工場を建てたのは、それなりに有利な条件があったはずだ。でなければ、株主への説明責任が果たせない。

 私が勝手に推測する英国進出のメリットは以下の通りだ。

 1、英語圏である:これは欧州では英国だけだ。ブレグジットを受けて、EU政府並びにECBでの公式言語から英語を外すべきだと発言したEU高官がいた。では、英語に代わる言語は何か? ドイツ語か? フランス語か? イタリア語? スペイン語? オランダ語? しかしながら、どの言語を選んでも、EU統一の理念からは逸脱する。

 英国ならば、英語というすでに確立した国際共通語で仕事や生活ができる。それ故に、世界中から優秀な人材を集めることもできるのだ。

 2、金融市場が発達している:外為市場、金属取引所(LME)、海運市場(バルチック海運指数)の規模は世界一だ。また、ロイズの再保険がなければ、世界の損害保険ビジネスが成り立たない。そして、それらを支える法律事務所、会計事務所などが充実している。

 3、金融制度が整備されている:国際取引契約は英語で作られ、英国法かニューヨーク州法が準拠法となっている。そのため、裁判管轄はロンドンかニューヨークだ。これをフランス語やドイツ語で契約書を作り直し、今後はパリやフランクフルトでの裁判を前提にすることは、EU統一の理念から逸脱し、コストも膨大なものとなる。そしてそれは、EUが世界から孤立することも意味する。また英国の法制度は、他の主要国と比べても歴史があり、安定していて、リスクが少ない。

 4、規制の質が違う:EUの規制は、EU統一を前提にした規制で、域外に対しては、しばしば排他的だ。一方、英国はEFTAとの関係でも見られたように、EUメンバーであることと、より国際的であることのジレンマを抱えてきた。今後もEUが統一に向けて進むことが前提なのに対し、今後の英国はますます国際的にならざるを得ない。これは、EU構成国以外の諸国にとっては、大きなメリットだ。

 5、地の利がある:最後に挙げたが、日米独にはない大きな利点だ。英国は欧州大陸と米大陸の間に位置している。外為市場ならば、午前中はアジア市場、欧州市場とオーバーラップし、午後から夜にかけて欧州市場、米市場とオーバーラップする。また、英語と歴史的な事情から、グローバル企業の中近東やアフリカ相手のビジネスは、通常ロンドンがカバーしている。その意味では、日本企業にとっても、ロンドンに拠点を置く重要性は、今後も変わらない。

 ブレグジットで、ポンドは対ユーロで2015年11月から2割以上下落した。これは同時に、2割の関税に耐えられることを意味する。また仮に、ブレグジットが英国没落の始まりであるのなら、今後もポンド安のメリットが享受できることになる。そして、そうなれば英国政府からは、法人税率の他に、さらに有利な条件を引き出すことも可能かもしれない。

 また、残留派が言い続けてきたように、英国の不動産や株価が下落し、雇用が失われて、大きなダメージとなるとすれば、これまで不動産価格が高くて進出できなかったところに、大きなチャンスが巡ってきたことになる。株価は逆に上昇したが、今後、安くなれば買えるようになる。中国資本はブレグジットを千載一遇の好機として、英国資産を安値買いしたという。また、雇用市場が買い手市場になるのなら、進出するところにはメリットがあり、感謝もされる。

 英不動産会社サビルズが7月に行った調査では、企業が負担する駐在員1人当たりの事務所と住宅費の年間賃貸料の合計順位で、ロンドンが首位から3位に転落した。ロンドンは2015年末から11%下落、10万0141ドルだった。新たな首位はニューヨークで、2位には香港がなった。ニューヨークは2%、香港は1%それぞれ上昇した。東京は22%と大きく上昇し、8万5331ドルで4位となった。この上下幅を見ていると、ほとんどが為替レートの影響だと分かる。

 ソフトバンクは、7月18日に英半導体設計会社のARMホールディングスの全株式を現金で取得することで合意したと発表した。総額は約240億ポンド。発表時の為替で約3兆3600億円と巨額買収だが、これが1年前ならば約4兆6800億円と更に巨額なものだった。基本的には同じものが、為替の変動だけでこれだけ安くなった。この買収について、メイ英首相は孫社長に感謝の意を表明したという。

※次回のトピック、「規制強化で、殺されつつある世界の市場主義経済」、「金融緩和の袋小路に迷い込んだEU」に続く。なお、今回分が長くなり過ぎたので、1回追加し、4回に分けて配信する。

2016年8月29日 記

矢口 新(やぐち あらた)
アストリー&ピアス、野村證券、グリニッジ・キャピタル・マーケッツ、ソロモン・ブラザーズ、スイス・ユニオン銀行などで為替、債券のディーラー、機関投資家セールスを勤める。2002年5月株式会社ディーラーズ・ウェブ創業。2013年4月まで同社代表取締役社長。JTI(Japan Trading Intelligence)初代(2003-7年)代表。

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