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【市況】武者陵司「『円安悪玉論』が株価を殺す」

武者陵司(株式会社武者リサーチ代表)

―真夏の夜の悪夢をどう見るか―

●真夏の夜の悪夢

 日経平均株価は7月11日に史上最高値4万2224円(終値ベース)を付けた後、釣瓶落としの下落となり、8月2日には3万5909円と半月余りの間に15%の暴落になった。背景として3つの要因が指摘されている。

 第一は、世界的な株価調整である。米国株式(S&P500)は年初来で20%上昇した後、6%下落した。ナスダックも年初来26%上昇の後に10%の下落となったが、これは循環的調整の範囲内の動きと言える。共和党大統領候補トランプ氏の銃撃事件、共和党大会におけるトランプ氏の大統領候補決定、バイデン大統領の立候補辞退というタイミングで、米国株式のリード役が替わり、大手ハイテク株が売られる一方、減税や規制緩和などトランプ氏の政策の恩恵を受ける小型株やエネルギー株に資金が集まった。また、米連邦準備制度理事会(FRB)が求め続けてきた米国景気減速と利下げが視野に入り、米国経済のハードランディング説も取りざたされ始めた(その可能性はごくわずかだと考えるが……)。

 第二に、円高への急進展で、円安・日本株高に賭けていたヘッジファンドが円キャリーポジションの巻き戻しを迫られ、円売りとペアで買い建てていた株式先物を売り込んだ。政府・日銀の介入と相次ぐ政治家の「円安阻止のために利上げをすべし」との発言が為替市場の潮目を変えた。

●日銀のパラダイム転換(リスクテイク促進から抑制へ)を最大限織り込む市場

 第三に、日銀の意表を突く利上げにより、日本のマクロ経済政策に対する不透明感が一気に広がった。政策当局に対する信認が大きく崩れ、利上げ後の二日間で日経平均株価は8%の大幅下落になった。8月2日夜間の先物取引では日経平均は3万4800円と更に3%下落しており、日本株式の独歩安が鮮明である。2023年初以来続いていた日本株の世界主要国中最高のパフォーマンスは、途絶えた。7月11日の史上最高値まで年初来26%の日経平均の上昇幅は、夜間先物の終値では5%上昇へと急速に縮まった。

 以上、3要因のうち日本株の突出した下落が、日銀の利上げに端を発していたのは明らかである。市場の戸惑いの中心は、植田日銀総裁の姿勢の急変である。従来の説明に基づくなら、7月の利上げは考えにくかった。植田総裁が説明してきた金融引き締めの条件、「賃金と物価の好循環」が始まっているとは到底言い切れない。5月の実質賃金は前年比-1.3%と26カ月連続で水面下にある。秋口にはプラスに転ずる可能性はあるものの、来年まで浮上は無理との見方もある。また、実質消費支出(前年比)を見ても、1月-6.3%、2月-0.5%、3月-1.2%、4月0.5%、5月-1.8%とマイナス基調から抜け出せていない。こうしたことから日銀は7月の展望レポートにおいて、2024年度の実質成長率見通しを0.8%から0.6%に引き下げた。植田総裁はデータ重視と言いながら、データが明らかになる前に利上げに踏み切っており、明らかに前のめりと言える。

 更に円安に対しても、トーンが大きく変わった。4月の時点では、円安進行による物価への影響は無視できる範囲であるとの認識を示していた。しかし、今回7月末の会見ではドル円レートが155円とほぼ変わっていないのに、円安による物価上昇圧力が2%の目標から上振れさせるリスクがあるので、早めに対応(利上げ)したと主張を変えた。

 「物価上昇の主因は海外に由来するコスト・プッシュ要因であり、それは家計の実質所得減と企業収益の負担増をもたらす。これを抑制しようとして金融引き締めを行うと、経済や雇用環境を悪化させる」という従来からの説明に市場は納得していた。それなのに、日銀は7月の決定会合では、為替が物価に与える悪影響が大きいので利上げが必要というスタンスに転換したのである。

●日銀のパラダイム転換(リスクテイク促進から抑制へ)を最大限織り込む市場

 何故なのか? 二つの理由、①政治圧力、②日銀の利上げバイアス、が考えられる。

 政府・与党から日銀に円安への対応を求める発言が相次いだ。岸田首相は7月19日に「金融政策の正常化が経済ステージの移行を後押しする」と述べ、さらに、河野デジタル相や自民党茂木幹事長からも利上げを求める発言が続いた。この圧力に屈した可能性がある。

 第二は、「金融政策の正常化」という宿願にとらわれて、日銀が前のめりになっているのかもしれない。日銀幹部の中では実質金利が低すぎるという共通認識があると言われている。6月の消費者物価指数(CPI)は2.8%、国債利回りは0.9%なので実質金利は-1.9%と大幅マイナスであり、「借り得」の状態が続いている。この実質金利マイナスの状態を、日銀幹部は利上げ余地と考えている節がある。将来景気が悪化した時に利下げできるのりしろを確保したいという願望である。マイナスの実質金利はリスクテイクを促進し需要を拡大するためにこれまで堅持されてきたが、モラルハザードを引き起こすという副作用にトーンがシフトする可能性がある。

 日銀のスタンスが安倍・黒田体制以来10年にわたって続いたリスクテイク促進から、リスクテイク抑制へとシフトしたと市場が疑い始めれば、地滑り的な投資心理の悪化を引き起こす。植田総裁は「非常に低い金利水準での調整なので、景気に大きなマイナス影響はない」と述べ、景気失速の懸念を一蹴した。しかし、時期尚早の利上げが、米国の景気後退および利下げサイクルと共振して円高を引き起こし、日本経済に打撃を与えた2000年と2007年の悪夢が繰り返されないという保証はない。

●失われた30年の根本原因、尚早の金融財政引き締めを繰り返すな

 もう一つの懸念は、財政からの景気抑制要因である。円安インフレにより政府の税収が大きく膨れ上がっている。政府はプライマリーバランスが2025年度に黒字になるとの試算をまとめたが、それは2023年の?5.2%(経済協力開発機構・OECD:2023年11月)からの鋭角的回復になる。それは逆から見れば、財政が2024~2025年にかけて民間需要を年間2.6%押し下げるということを意味する。円安インフレは家計から実質所得の減少という形で所得を奪っているが、政府には巨額の所得移転をもたらしているのである。

 この政府の税収増という巨額の所得をそのままにしておけば、民間消費は大打撃を受けることになる。現時点においては円安のデメリットを受け続け、繁栄の波に入れていない個人を救済する必要があるが、その処方は明らかである。インフレによって潤った財政が恒久減税という形で、インフレによって富を奪われた国民にお金を返還するべきであろう。

 過去、2000年と2007年の2回、日本は時期尚早の財政・金融引き締めによって景気後退を深刻化させ、10年で終わるはずの失われた時代が、20年、30年と続いた。今度こそ過去の誤りを繰り返さないように、日本株価の急落はそのことを戒めていると考えられる。

●鋭角的リバウンドが期待できる

 とはいえ、「10年にわたって続いた日銀のリスクテイク促進が、一気にリスクテイク抑制へとシフトした」とする見方は、日銀にとって至極不本意なはずである。また、米国経済の減速は利下げを促進することで株高要因と捉えられるはずである。日本政府はすでに株価下落を注視するとのメッセージを発しており、日銀からも市場を安堵させるトーンの発言が出てくるかもしれない。

 「誇大表示のパラダイム大転換」を織り込もうとした市場の急落場面は、絶好の買い場となる可能性が高いと思われる。好調な企業業績、急激に魅力度を強めた株式バリュエーションは、日本株の持たざるリスク(FOMO)を感じている全投資主体には良い買い場を提供しているのではないだろうか。

《参考》時期尚早の金融・財政引き締めへの転換が日本経済の二番底をもたらした

 リーマン・ショックは、全て米国など海外での金融危機であった。しかし、その震源地から最も遠かった日本が最も大きな経済的打撃を受け、株価も最も長く低迷した。尚早の政策引き締めが円高を招いて、株価と不動産価格を本源的価値以上に押し下げ、付加的なコストを企業に与え、回復に転じていた日本経済と株価をダブルボトムに陥れた。日本の土地と株式を合計した国富時価総額は、1989年末3142兆円でピークを付け、2002年末の1723兆円で一旦底入れし回復に転じたが、リーマン・ショック後さらに下落し、2011年末には1512兆円になった(なお、2023年末では2410兆円と顕著に回復している)。この二番底は正しい政策を取っていれば回避できたはずである。

(2024年8月4日記 武者リサーチ「ストラテジーブレティン360号」を転載)

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