ナノキャリア Research Memo(2):創薬バイオベンチャーとして必要とされる形に進化・成長(1)
■会社概要
1. 会社沿革
ナノキャリア<4571>は、東京大学 片岡一則(かたおかかずのり)名誉教授、東京女子医科大学 岡野光夫(おかのてるお)名誉教授らにより発明された「ミセル化ナノ粒子技術」をDDS製剤に応用し事業化する目的で、1996年に設立されたベンチャー企業である。片岡氏及び岡野氏が研究活動をしていたアメリカのユタ州ではDDSが盛んに研究されており、発明したミセル化ナノ粒子技術を世界に向けて日本から発信するために新会社が設立された。社名はナノ粒子技術(ミセル化ナノ粒子技術)とキャリア(薬物の運び屋)の造語である。2000年には研究所を設置し、本格的に実用化に向けた研究活動が開始された。
同社は東京大学TLOからのミセル化ナノ粒子の基本特許のライセンス契約を基に、日油<4403>とのポリマー供給契約、日本化薬<4272>とのパクリタキセルミセルの共同開発及びライセンス契約締結とともに、自社での臨床開発も進め、パイプラインの創出を行ってきた。一方、2008年3月東京証券取引所マザーズ市場への株式上場を果たしたが、同年9月のリーマンショックにより、同社の株価も低迷する期間が続いた。リーマンショック前後は、日本では投資が著しく冷え込んだ時期でもあり、いずれのベンチャー企業もそうであったように、研究開発に必要な資金調達が困難であった。同社も上場時の調達資金が約6億円と非常に低い水準となり、それまで行っていた欧州でのNC-6004の開発を次ステージへ展開することが困難となり、開発戦略の変更を余儀なくされた。しかしながら、同社はすぐにアジア展開に目を向け、台湾の製薬会社であるOrient Europharma Co., Ltd.(以下、OEP)とアジア地域におけるNC-6004ライセンス契約(共同開発及び投資による資金調達など)を締結することにより、開発を着実に進めた。
バイオベンチャーは資金不足による開発延滞や中止などが懸念されるが、同社は2012年にウィズ・パートナーズ(株)からの資金調達及び、信越化学工業<4063>からの第3者割当増資と材料製造技術に関する共同研究契約の締結、2013年にはグローバルファインダー(主幹会社JPモルガン<JPM>)がアレンジャーとなり、欧米・アジアの機関投資家からの資金調達(約90億円)などにより、パイプラインの開発を自社で推進することに成功している。当時、米国型の自社プラットフォーム技術で創薬を行う数少ない日本企業として、パイプラインの開発戦略や創薬の裾野の広がりが海外の機関投資家に訴求しやすかったと言える。また、2012年にiPS細胞の研究により京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことでバイオベンチャーブームが再燃したことも、フォローの風となった。
このころから、がん治療薬の研究や臨床開発経験者など幅広い人材を中途採用できるようになり、自社開発として欧米での臨床開発もスタートし、併行してM&Aや提携を推進し、新たなパイプラインの導入を進めた。2017年11月にイスラエルのVascular Biogenics Ltd.からライセンスインした遺伝子治療薬VB-111は、開発期間の大幅な短縮(通常10年以上が数年程度にまで短縮)とともに、開発コストを削減し(通常数百億が十数億程度)、早期収益化に貢献可能な製品として開発を推進した。また、早期に経営基盤を安定化する製品として、不妊治療や耳鼻科領域における製品の導入も推進し、耳鼻科領域の製品ENT103は2022年4月に国内製造販売承認申請に至っている。また、mRNAなどの核酸医薬に特化したアキュルナを吸収合併し、新たなモダリティによるパイプラインの拡充も推進した。
しかしながら、2022年、早期収益化を期待したVB-111および自社品NC-6004の相次ぐ開発中止に伴い、ビジネスモデルの再構築を図ることとなった。2020年からCOVID-19ワクチンで新規モダリティとして認知され、急激な市場形成がなされたmRNA医薬について、国内企業でも数少ない豊富な開発経験を持つ実績を活かし、市場が求める医薬品であるmRNA創薬に特化し、高リスクの後期臨床開発は行わないmRNA医薬のIP Generator企業としての活動にシフトすることとなった。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 清水啓司)
《NS》
提供:フィスコ