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【特集】デリバティブを奏でる男たち【57】 グラハム・キャピタルのケネス・トロピン(前編)


◆生い立ち

 今回は米国を代表するCTA (Commodity Trading Advisor、商品投資顧問)の一つであり、グローバル・マクロ戦略も手掛けるグラハム・キャピタル・マネジメントの会長兼創設者、ケネス・グラハム・トロピンを取り上げます。

 1953年にニューヨーク州の郊外で生まれたトロピンは、1974年にゴダード・カレッジで学士号を取得した後、塗装や軽建設の小さな請負業をしていました。あるとき家族の友人からウォール街で働くことを勧められ、ローゼンタール・グループ(コリンズ・コモディティーズと合併してローゼンタール・コリンズ・グループとなり、2019年にマレックスが買収)という小さな商品先物業者に就職。1980年に先物と株式を専門とするブローカーのシェアソン・ローブ・ローデス(後に合併を繰り返し、リーマン・ブラザーズとなる)に移りました。

 1982年に米大手証券会社ディーン・ウィッター・レイノルズ(1997年に米投資銀行のモルガン・スタンレー<MS>と合併)から声が掛かり、CTAに資金を配分していた設立間もないヘッジファンド業務を引き継ぎます。1987年のブラックマンデー時には、たまたま売りを仕掛けていた株式が急落しますが、その後の債券買いで高い収益を得ています。そして、ディーン・ウィッターの子会社で社長を歴任した後、本社の上級副社長兼マネージド・フューチャーズ担当ディレクターにまで上り詰めます。しかし、1989年に当時の大手CTAの一つであったジョン・ウィリアム・ヘンリー・アンド・カンパニーを引き継ぐという話を聞き、同社の社長兼CEO(最高経営責任者)に転籍しました。

◆ジョン・ウィリアム・ヘンリーでの活躍

 1981年にジョン・ウィリアム・ヘンリー・アンド・カンパニーを設立したジョン・ウィリアム・ヘンリー2世は、もともと実家が大豆農家だったことから、作物在庫の価格変動リスクをヘッジする手法を学ぶため、トウモロコシや大豆の先物取引を始めます。その後に先物取引口座を管理するため、特殊なトレンド・フォロー・システムを開発しました。この頃のトレンド・フォロー・システムは買いから入ることが一般的でしたから、収益機会は上昇トレンドが形成されているときに限られていましたが、ヘンリーは下降(リバーサル)トレンドでも、売りから入ることで収益機会を増やす方法を考え出し、自己資金で実験します。

 ファンダメンタルズ要因だけでなく、人間の感情といった主観的な評価を排除し、各マーケットのトレンド反転といったテクニカル要因だけを機械的に判断して売買を繰り返すというこのシステムは上手く機能しました。そこで、ヘンリーは資産運用会社を立ち上げるとともに、同業他社にもシステムを売り込んで大成功を収めます。この会社のマネジメントを任されたトロピンは、同社の運用資産を約2億ドルから約12億ドルに拡大させました。ところが、トロピンは次第にヘンリーと異なる見解を持つようになり、1993年末に退職してしまいます。ヘンリーの会社は2006年に運用資産が約25億ドルに拡大したものの、リーマン・ショック以降は運用に失敗。2012年後半には1億ドルまで減少した後、顧客に資金を返還してファミリー・オフィスへ転じました。

 一方、ジョン・ウィリアム・ヘンリーを退社したトロピンは、単独でプログラミングを学びます。やがては自分のトレーディング・アイデアに基づいてプログラム・コードを書き、それをバックテストできるようになります。そのトレーディング・アイデアとは、価格の動きやボラティリティ(予想変動率)から、将来の収益機会を予測しようとするものでした。そして、「利食い急ぐな、損急げ」というトレンド・フォロー戦略の基本ルールに従い、評価益が出ているポジションは約6カ月間そのまま、評価損が出ているポジションは1カ月で手仕舞うことで、リスクを抑え、できるだけ長く勝者にとどまるように設計されていました。

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◆若桑カズヲ (わかくわ・かずを):
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。



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