市場ニュース

戻る
 

【特集】デリバティブを奏でる男たち【84】 フランス最大のヘッジファンドCFM(前編)

 今回はフランス最大のヘッジファンドといわれているキャピタル・ファンド・マネジメント(CFM)を紹介します。2023年7月時点で運用資産総額110億ドル以上を誇る同社は、2024年7月にマルチ戦略の旗艦ファンド「ストラタス」の運用報酬を20%から30%に引き上げたことで話題になりました。その理由として、クオンツファンド間で激しさを増す競争に対応し、人材の確保とデータの獲得を図ることを挙げています。同社の会長であるジャン=フィリップ・ブショー(Jean-Philippe Bouchaud)は「同じ場所にとどまるためには、走っていることが必要だ。競争は増し、アルファ悪化のスピードは速くなっている」(2024年7月13日付、Bloomberg)と述べ、運用報酬引き上げの必要性を訴えました。アルファとはベンチマーク(投資対象資産の指標)を上回るリターンを指します。アルファについては以下でも触れていますので、ご参照ください。

▼ブリッジウォーターのレイ・ダリオ(後編)―デリバティブを奏でる男たち【9】―
https://fu.minkabu.jp/column/1096

◆エリート集団

 CFMは1991年にジャン=ピエール・アギュラー(Jean-Pierre Aguilar、1960-2009)が創設しました。フランスのボルドーで生まれたアギュラーは、仏グルノーブル工科大学で工学とコンピュータ・サイエンスを学び、1984年に卒業します。その後、グランゼコールのパリ高等商業学校(HECパリ、Ecole des hautes etudes commerciales de Paris)で経営学の学位を取得しました。グランゼコールとは、エリートを養成するフランスの高等教育機関であり、バカロレア(高等学校教育の修了を認証する国家資格)取得者であれば入学できる大学とは別系統の組織です。商学系グランゼコールの中でもHECパリは最難関といわれています。

 アギュラーは1986年にルグラン証券で金融のキャリアをスタートし、1988年に退職してバックオフィス向けの電子取引ソフトウェア会社、ユビ・トレード(2004年に電子取引アプリケーションのプロバイダーであるジーエル・トレードが買収)を設立します。その3年後となる1991年に、HECパリで同期だったブルーノ・コンビエと共同で、CFMを設立しました。コンビエはフランスの国内債券市場におけるトレンド・フォローと裁定取引のためのクオンツ手法を開発していましたが、CFM設立の後1年足らずで同社を辞め、ユバフーアラブ・フランス連合銀行のポートフォリオ・マネージャーに転身しました。

 現在、CFMの会長であるブショーは1962年にフランスのパリで生まれました。ロンドンのフランス高等学校で学び、その後に文学系グランゼコールの最難関といわれた高等師範学校(ENS、Ecole normale superieure)に入学します。1985年にENSを卒業した後、量子力学の基本理論を専門とするカスラー・ブロッセル研究所(旧ヘルツ分光法研究所)で理論物理学の博士号を取得し、仏ソルボンヌ大学のクレア・ルイリエ教授とともにスピン偏極量子ガスを研究しました。その後にフランス国立科学研究センター、ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所を経て、フランス原子力・代替エネルギー委員会の凝縮物物理学研究所に加わります。

 経済物理学の先駆者でもあるブショーは1994年に、CFMの研究部門としてシヨンス・エ・フィノス(科学と金融)研究所をアギュラーと共同で設立しました。同研究所は科学的かつ学術的なアプローチで金融に取り組み、かなり早い段階でクオンツ手法やシステマティックな手法を用いて、機関投資家向けのオルタナティブ(代替)な投資戦略や金融商品を開発します。ところが同研究所とCFMが合併した2000年以降に、同社は幾つかの試練に見舞われました。

◆試練を教訓に

 CFMが米国に投資する際に利用していた米資金管理会社センチネル・マネジメント・グループが、2007年に顧客の資金引き出しを凍結します。短期的で流動性のある資産に投資する同社は、凍結の理由について信用市場の不安定さを挙げました。その後すぐに連邦破産法11条(チャプター11、日本の民事再生法に相当する)の適用を申請します。さらに米国証券取引委員会(SEC)がセンチネルに対して民事詐欺の告発を行いました。

 訴状によると、センチネルが投資顧問法に違反し、同意を得ずに顧客の証券を同社のハウスアカウントに不適切に混合、不正流用、および利用することで顧客を欺いたとのことです。このときCFMはセンチネルに対して4億700万ドルの現金と有価証券を預けていました。最終的には資金の大部分を取り戻すことができましたが、CFMはカウンター・パーティー(取引相手)の不安定さがもたらすリスクを教訓として学びます。この教訓は翌年に生かされ、米名門投資銀行のリーマン・ブラザーズが破綻する直前に、CFMは同社から撤退することができました。

 なお、CFM創業者のアギュラーは2009年、自社が主催したアルプスのグライダー競技会に参加している際中に事故で亡くなってしまいます。彼は大のグライダー好きで知られており、運用しているファンドの名前を、グライダーの機種名にしていたぐらいです。ちなみに旗艦ファンド名のストラタスとは気象用語で層雲という意味ですが、これもグライダーの機種名です。

 痛ましい事故で創業者を失ったCFMは、悲しみに暮れる暇もなく早急に後継者を決めねばなりませんでした。アギュラーは同社の大株主でもありましたが、幸いにして「彼は会社が行うすべてに関し、詳細な話し合いと妥協なしに自分の決定を押し付けないという賢明なやり方をとっていた」とブショーは語っています。そのため、ワンマン経営者にありがちな「不在になると途端に会社が回らなくなる」といった事態は避けることができました。アギュラーの協調的な経営手法は、緊急時の企業の後継計画の模範として高く評価され、今でもCFMの経営に生かされているとのことです。

 アギュラーが保有していたCFMの株式の25%は、ニューバーガー・バーマン・グループが管理するプライベート・エクイティ・ファンドのダイアル・キャピタル・パートナーズが取得し、残りの株式はCFMの上級経営陣が購入しました。老舗の米独立系資産運用会社であるニューバーガー・バーマンのダイアルは、世界中の機関投資家向けヘッジファンド会社に投資するファンドであり、多くのソブリン・ウェルス(政府系)ファンドや機関投資家、ファミリー・オフィス投資家が資金を提供しています。

(※続きは「MINKABU先物」で全文を無料でご覧いただけます。こちらをクリック

◆若桑カズヲ (わかくわ・かずを):
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。MINKABU PRESS編集部の委託により本シリーズを執筆。


株探ニュース

株探からのお知らせ

    日経平均