【特集】需給の壺―事業法人という静かな投資部門―【若桑カズヲの株探ゼミナール】

第4回:事業法人という静かな投資部門
─買い越しが語る資本市場の構造変化―
市場価格を動かす本質的な要因は、需要と供給、すなわち「需給」に尽きる。経済指標や金融政策、地政学リスクといった政治情勢のほか、他の金融市場の動向など、しばしば価格変動の要因として語られる指標は、あくまで需給を変動させる「きっかけ」に過ぎない。本連載では、この「需給の壺(ツボ)」を読み解くことを目的とし、マーケットにおける需給の基本構造とその変遷を追いながら、未来への洞察を試みたい。
◆投資部門別売買状況における事業法人の需給
第4回は、国内株式市場の投資部門別売買状況における「法人」の中から「事業法人」の動向に焦点を当てる。同統計を公表する日本取引所グループ <8697> [東証P]傘下の東京証券取引所によると、「事業法人」とは海外投資家、証券会社、投資信託、生保・損保、都銀・地銀等、信託銀行、その他金融機関以外の株式会社、有限会社、持分会社(合名・合資会社または合同会社)を指す。なお、金融機関を傘下に保有するものも含め、持ち株会社は全て事業法人に該当することとなる。
図1 2024年における日本株の売買(売り買い合計)代金とシェア

◆確実な買い越し投資部門
同統計の「投資部門別 株式売買状況 二市場 [金額] 全 50 社」において、2024年の「事業法人」の売り買い合計金額は約34兆円であり、売買シェアは総計のわずか1.5%にすぎない(図1)。しかし、同年の売り買い差し引きは約7.88兆円の買い越しと過去最高であり、委託の中では最大の買い越しであった。二番手の買い越しである「その他法人等」(同0.7兆円)を大きく引き離している。2025年も7月第1週までに既に約5.7兆円を買い越していた。ちなみに、「その他法人等」とは、金融機関、投資信託、事業法人に該当しない海外投資家以外の法人などを指す。具体的には、政府・地方公共団体とその関係機関、財団法人、特殊法人、従業員持ち株会、親睦会、労働組合などの諸団体、金融機関以外の外国企業の在日支店などが該当する。
図2 買い越しが顕著になってきた事業法人(兆円)

前回に取り上げた「信託銀行」と同様に「事業法人」も「株価を支える影のプレーヤー」と言えるし、最近は影とは言えないほど存在感が増してきた。このように「事業法人」が買い越す大きな要因として、近年、増加傾向にある上場企業の自社株買いが挙げられる。自社株買いの買い付け枠設定額は2022年に9.4兆円、2023年に9.6兆円、2024年には16.8兆円と大きく伸びており、2025年は5月末で12.1兆円であった。この積極的な自社株買いの背景には金融庁と東証の強い後押しがある。
◆ROEの向上を目指して
2014年2月に金融庁は「日本版スチュワードシップ・コード」を策定・公表し、翌年の3月に金融庁と東証が共同で「コーポレートガバナンス・コード原案」を公表している。
スチュワードシップとは財産管理の受託者責任を意味しており、スチュワードシップ・コードは、顧客から財産管理を受託する立場にある機関投資家に対して、責任ある行動を求める規範である。つまり、金融庁は機関投資家に、もっと投資先企業の価値向上や持続的成長を促せ、と迫ったのである。
一方、投資対象となる企業に対しては、コーポレートガバナンス・コードという企業倫理規範を求めた。同コードは株主の権利の確保、情報開示の透明性、取締役会の役割など、多岐にわたる原則で構成されている。
金融庁や東証がこうした規範を策定した根底には、企業が利益の多くを内部留保としてため込んでおり、企業に投資している機関投資家がそれを容認していたことが挙げられる。これでは政府が景気を良くしようと財政政策を実施しても、企業に利益が滞留し、その効果は限定的になってしまう。また、東証が株式市場を活気づかせようとしても、資本効率の悪い企業ばかりでは人気は離散してしまうので、機関投資家と企業それぞれに意識改革を促したものと考えられる。
企業が利益をどのように使うかは、金融庁や東証が口を挟むところではない。一方で、利益をどのように使うかは経営者の腕の見せどころでもある。例えばさらに会社を大きくするために、「積極的な事業展開を図り、設備投資に資金を投じる」、「高い人件費を割いて優秀な人材を確保する」、あるいは「同業他社や既存事業とシナジーがあるような成長産業の企業を買収する」などといった「攻める」使い道がある。しかし、景気が悪ければ「無理をしないで借金を返済する」、「内部留保を厚くして財務体質を強化する」といった「守る」方法も考えられる。
これらの方策から将来に向けて、最も資本効率の良い方法を選択していくことになるだろう。だが、いよいよ良い方法が見つからないとなれば、配当や自社株買いなどで株主に利益を還元することになろうか。
現実にはここまでドラスチックに資本効率を考えるのではなく、株主還元と資本効率のバランスを取っていくことになるだろう。ところが、これらのコードが公表された当時の国内上場企業は、バブル崩壊からの長い低迷を経てあまりに「守る」方法に偏り過ぎていたようだ。そこで資本効率の指標として提案されたのが、「株主資本利益率(ROE=利益/株主資本×100)」である。この指標を向上させるには利益を増やせば良いのだが、もっと手っ取り早い方法として株主資本を減らす方法がある。ここから上場企業の積極的な株主還元が始まった。
◆PBR向上要請のインパクト
それでも資本効率の改善が緩慢であることに業を煮やした東証は2023年3月、プライム市場とスタンダード市場の全上場企業を対象に、株価純資産倍率(PBR=時価総額/純資産、もしくは株価/一株当たり純資産)の向上を目的とした「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請を実施したのである。
PBRは創業時点で1倍(一株当たり純資産=株価)だとしても、将来的に利益増加により純資産が増えるという期待があれば、株価が上昇することで高まっていく。つまり、PBRは投資家の利益増加の期待を表す指標だといえる。そのため、赤字による純資産の減少が懸念されるのであれば、PBRは1倍割れとなっていく。東証がこの要請を実施した時点で、対象となる全上場企業の約4割がPBR1倍割れの状態であった。もちろん、上場企業側が東証の要請に従う義務はない。しかし、東証はPBR1倍割れを上場廃止基準に採用することが可能であるため、上場企業側はPBR1倍超えを目指さざるを得なくなった。ここでも手っ取り早く純資産を減らす方法として、積極的な株主還元が始まったのである。
株主還元の一環である自社株買いは、発表後に6カ月とか12カ月といった期間を設けて実施されるため、需給面からみるとほとんど地合いに関係なく発生する需要である。しかし、個別の株価が強く反応するのは発表時であり、その金額が大きければ大きいほど、インパクトは大きくなる。一般的に決算発表時や株主総会の前後に発表されることが多く、4-6月に発表が集中するとみられている。だが、先に示した通り、16.8兆円の自社株買いが発表された2024年は5月までに約9兆円の自社株買いが発表されていたことから、自社株買いの発表は年前半がやや多いといえる程度である。また、2025年は5月までに12.1兆円であったことから、2024年と同程度のペースであれば年間でおよそ22.6兆円 の自社株買いが期待できる。
◆持ち合いや親子上場の解消
「事業法人」は買いだけでなく売りも行う。本来、有価証券投資を本業としない限り、「事業法人」が株式を保有することは考えにくいことである。しかし、市場を通じて株式の売買が可能な上場企業には、常に買収リスクがつきまとう。買収によって現状維持が難しくなることを懸念する経営者は、そのようなリスクを少しでも解消するため、取引先との関係強化という大義名分のもと、国内上場企業では株式の持ち合いが散見された。
このような効率の悪い資本利用もコーポレートガバナンス・コードでは問題視しており、近年は持ち合いの解消が進んでいる。 持ち合いの解消は、需給面からみるとほとんど地合いに関係なく発生する供給である。しかし、持ち合い企業の双方が市場で売却するよりも、双方が買い戻すことが多いため、個別の株価にインパクトが大きいとは考えられていないようだ。むしろ、資本効率の改善として好意的に受け止められている、と言えよう。
また、親会社と子会社が共に株式を上場しているという親子上場は、日本特有の現象であるが、近年はコーポレートガバナンスの観点から問題視され、解消の動きが進んでいる。親子上場には、親会社の利益が優先されて子会社の少数株主の利益が損なわれる、といった利益相反のリスク、親会社の影響力が強くて子会社の経営判断やガバナンスに問題が生じるといったリスクが考えられる。しかも、親会社の意向が優先されやすく、少数株主の意見が反映されにくい状況になりがちで、企業のイメージダウンにもつながる。
こうした問題を解消することによって、経営判断が迅速化し、グループ全体の経営効率が改善される可能性があるほか、企業統治が強化され、コンプライアンス意識も高まりやすくなり、企業価値の向上が予見される。親子上場の解消手段としては、子会社を同業他社に売却する方法があるが、多くの場合は株式公開買い付け(TOB)を通じて親会社が完全子会社化している。もっとも、その際にTOB価格を安く設定すると、他の株主との合意に時間を要することになる。親子上場の解消は、需給面からみると、ほとんどの場合、地合いに関係なく発生する需要として好感される。
図3 市場動向に左右されず買い続ける事業法人

2024年以降の株式市場では、コンスタントに買い続ける「事業法人」の動きがこれまでになく注目されている。従来、価格変動の主体とされた海外投資家や個人投資家とは異なり、事業法人は中長期的かつ構造的な視点で株式を売買する。企業が自己資本の効率化を追求し、東証や金融庁の要請を受けて資本政策を練り直す過程で、自社株買いや持ち合い解消、親子上場の再編といった動きが連鎖的に市場に影響を与えているし、これからも与えることだろう。その需給インパクトは、一過性の資金の流出入では捉え切れない、構造変化としての意味を持つ。
すなわち、事業法人とは信託銀行以上に「株価を支えるプレーヤー」である。その動向を見誤ることなく把握することが、今後の需給分析において不可欠となろう。(第5回に続く)
◆若桑カズヲ (わかくわ・かずを):
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。
証券会社で株式やデリバティブなどのトレーダー、ディーラーを経て調査部門に従事。マーケット分析のキャリアは20年以上に及ぶ。株式を中心に債券、為替、商品など、グローバル・マーケットのテクニカル・需給分析から、それらに影響を及ぼすファンダメンタルズ分析に至るまで、カバーしている分野は広範囲にわたる。
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